no pat answer, no grapevine

一見正しそうなことや噂になんか流されない。

【書評】データ分析の力ー因果関係に迫る思考法ー(光文社新書,2017年)

 AIによってビッグデータを分析して意思決定に活用する動きが拡がっている。AIが導き出した結果をもとに,現代の社会問題を解決しようとするテレビ番組も先日放送された。

 このように,データ分析に接する機会が増えている。しかしながら,誰しもが十分にこうした知識を身に付けているわけではない。専門家であっても誤ったデータに基づいて判断してしまう可能性はゼロではない。

 一番大切なのは,誤った意思決定をしないことである。例えば,「広告を出したら売上が伸びた」という分析結果をみて,また広告を出せばよいという話にはならない。(データが正しいという前提で)その分析結果に因果関係がないと誤った行動をとりかねない。

 本書は,具体例を交えつつ,統計的に因果関係ありとされる分析手法を平易なかたちで解説している良書である。因果関係を判断するに当たっては,「そうではなかった場合」を想定する必要があるが,そうした情報は実在しないので捕捉しようがない。こうした「実際には起こらなかった潜在的な効果を測定できない」ことが統計的に因果関係を判断する難しさを生み出している。これは「因果的推論の根本問題」と呼ばれているらしいが,こうした問題を克服するかたちでさまざまな分析手法が生み出されてきた。

 代表例としてランダム化比較実験(Randomized Controlled Trial)ないしはABテストを挙げることができる。多くのサンプルをランダムに介入グループ(treatment group)と比較グループ(control group)に分類し,結果を比較するという手法である。オバマ前大統領が選挙広告の戦略を立案する際に用いたことで有名らしい。内的妥当性をもっとも担保している手法であるが,外的妥当性はパネルデータ分析に劣る。

 RCTは費用がかかるため常に実施できるわけではない。自然実験(Natural Experiment)と呼ばれる手法で代用されることがある。代表的な3つの手法が本書では紹介されている。

  • RDデザイン(Regression Discontinuity Design)…例えば日本の医療制度は,70歳を境に医療費の自己負担額が変わる。RDデザインはこうした非連続の変化に着目する手法である。非連続な変化をもたらす要因が他にはないことを,できるだけ示す必要があるという難点があるほか,境界線以外の者にも適用できるかどうかは自明ではない(外的妥当性の問題)といったことに留意する必要がある。

 

  • 積分析(Bunching Analysis)所得税累進課税や燃費規制など階段状の規制を利用して因果関係の有無を分析する。境界線で非連続な変化が起きていることに着目することで,あたかもRCTが起こっているような状況を利用する点ではRDデザインと類似している。しかし,対象主体が変数を操作できる(例えば燃費規制の上限ギリギリの自動車が増える)点が異なる。

 

  • パネルデータ分析(Panel Data Method)…介入グループと比較グループがたまたま形成されていた場合に,「介入開始後の両グループの差」から「介入前の両グループの差」を引くという「差分の差分」を求めることで,因果関係の有無を確認する手法である。その際,「平行トレンドの仮定」が重要となる。この仮定を完全に満たすことは難しく,介入開始前に平行トレンドの仮定が成り立っていることを示すとともに,介入後に介入グループだけに影響を及ぼす他の事象がないかを丹念に調べることで,一応成り立っていることを示す必要がある。パネルデータ分析は利用できる場面が他の手法よりも多い一方で,比較グループのデータ収集を行っていない(例えば補助金を受給していない世帯のデータ)とか,介入開始後のデータしか収集していないなど,適切な分析を行えないことも少なくない。


 いずれの手法にも長所と短所があることには留意せねばならない。とりわけ外的妥当性を考える時には慎重にならないといけない。今後,日本においてもこうした分析がさまざまな場面で利用されることは想像に難くないわけで,本書をきっかけに自らの統計やデータ分析に関するリテラシーを高めていく必要があるだろう。

【英語】実践ビジネス英語(2017年4月):Job Interviews

はじめに

 この春からNHKラジオ講座「実践ビジネス英語」の視聴を日課としている。スキットそのものもビジネスにかかわる者にとっては興味深いトピックであるほか,スキットで用いられている表現や用法も大変参考になる。何度聞いても新しい発見があるぐらいだ。今回の記事では,4月後半で取り扱われたjob interviews(就職の面接)で登場した単語などを振り返ってみる。

スキットの概要

  • When the interviewer asks “tell me about yourself”, you need to bear in mind your answers would be out of focus. All in all, interviewers want to know why you are interested in the job you’ve applied for, and why you think you are qualified.
  • When you are required to explain your weaknesses in job interviews, some advisors say the idea is to turn a weakness into a strength. Others say honesty is important. That is, you need to be upfront about your weaknesses and quickly touch upon your progress in dealing with such issues.
  • How your bosses and coworkers see you is one of common questions in American job interviews. Again you have to be honest because interviewers may be calling your former bosses and coworkers.

単語・熟語

  1. replacement:後任。
  2. confrontational:挑発的な。
  3. old chestnut:使い古された言葉
  4. off-beat questions:とっぴな質問
  5. in this day and age:今の時代
  6. where I was coming from:私が考えている,意図していること。
  7. Ignorance is bliss.:知らぬが仏。
  8. blather on~:~についてぺちゃくちゃしゃべり続ける。
  9. make a concise pitch:簡潔な売り込みをする。
  10. get the lay of the land:状況を把握する。
  11. be in a rut:型にはまっている,マンネリにある。
  12. make a point of ~ing:決まって~する。
  13. be too much of a~:「あまりに~すぎる」の意。例えばI hope it wasn’t too much of an ordealだと「あまりつらいものでなかったなら,いいのですが」となる。
  14. Sorry to sound noisy.:詮索好きで申し訳ございません。
  15. You bet I was.:もちろんです。私はそのとおりだった。

表現の考察

  • 記入する→fill outは複数記入。1箇所ならfill in。
  • which it hasに近いwithの用法→例えば,a major company with a solid leadership and a strong corporate culture。
  • 相手の自主性や意思を尊重しつつお願いをする場合にはyou might want to~という。スキットではYou might want to take Chuck to lunch(チャックを昼食に連れていくといいでしょう)という表現あり。
  • 「そうだったと思います」はI think it wasというとよい。
  • 文の最後に「which is the truth」と付け加えることで「それは(信じられないかもしれないが)本当のことである」というニュアンスを出すことができる。スキットではI said I don't have one, which is the truth(ありませんと,本当のことを言ったのですから)という表現あり。
  • 「でも実際は…である」を英語にするにあたって,but the truth is that~とするとコンパクトになる。
  • スキットでは「会話のきっかけをつくる」をtry to make conversationと表現し「きっかけ」を~しようとすると言い換えて英語にしている。

繰り返しを避ける表現

  • 「例えば」はfor exampleのほかに,①such as ②as in ③things likeと言い換えることができる。
  • 「~率直に伝える」はbe upfront aboutやbe open aboutという用法がある。なお,upfrontは前払いの意味でも使われる。例えばupfront investmentで先行投資。
  • be surprisedをbe taken abackと表現することも。
  • 品詞を変えて繰り返す方法もある。スキットではtendency to do~をhow I often do~と言い換えていた。

【書評】アメリカ自動車産業(中公新書,2014年)

 自動車産業は,日本でもかつて「1割産業」と形容されていたが,アメリカにおいても重要な産業であることを疑う者はいないだろう。製造業は国力の維持に当たっての要である。特に自動車(関連)産業は雇用吸収力が大きく,その安定が経済全体の安定に直結すると言えなくもない。アメリカにおける自動車工場の労働者いかなるシステムのもとで雇用され,今日に至っているのか。

 今回ご紹介する篠原健一著『アメリカ自動車産業─競争力復活をもたらした現場改革─』( https://www.amazon.co.jp/dp/4121022750 )は,リーマンショックによる危機を乗り越えたGMを筆頭に,アメリカ自動車産業の復活が果たして本物であるか,製造現場での変革を中心に考察したものである。従って,シェール革命やこのところ話題となっている電気自動車といった次世代自動車が,いまの自動車産業にもたらすインパクトについて取り上げた書籍ではない。あくまで,そこにいる労働者や製造現場にスポットをあてた分析である。アメリカの工場を実際に訪れて関係者にインタビューするなど地に足のついた調査がなされている。そのうえ,目に浮かぶような記述であり,いずれの主張も大変説得力がある。また,日本との対比が随所でなされており,読者の理解が深まるような配慮もなされている。
 アメリカは能力主義ではなく平等主義・非競争主義であると,本書ではたびたび強調されている。アメリカの工場労働者(ブルーワーカー)は,詳細な”job description”に基づいて働きさえすればよく,賃金は職能給とリンクしている。このシステムが「同一労働・同一賃金の原則」を担保している。年功序列制と「抜擢」による事実上の競争主義を採用している日本のシステムとは大きく異なる。
 また,アメリカの年功序列制(seniority)も日本のそれと様相が異なる。米国では,seniorityがlay-offの順番を決定するために用いられる(勤続年数が短い者から順に解雇されていく)。長年の労使協議のなかで,seniorityは,lay-offの場面のみならず,異動や昇進時の基準としても機能するようになった。seniorityの運用が労使間における主な駆引き材料であったことや,職種数そのものが減少するなかで,seniorityの範囲は次第に拡大していくこととなった。
 こうした職能給やseniorityといったアメリカ特有の労働制度が,しばしば自動車業界に襲来した危機を乗り越えるに際しての壁となってきたと本書は見立てている。ビッグ3は1980年代にリストラを経験し,カイゼンやジャスト・イン・タイムといった日本の方式を取り込むことで生産管理面での効率化を進めてきた。一方,人的な側面では日本のような柔軟な人員配置が難しい状況が続いている。生産のグローバル化が進むなかで,ビッグ3では部品の共通化を推し進めコスト削減には成功したが,細かなニーズに対応する多品種少量生産には日本の生産システムの方が優位にあった。例えば,かつてビッグ3が得意としていた大型車は,車台と車体が別々の構造であったため,平易な生産技術であるにも関わらず高い利潤を得られた。それに対して,小型車はモノコックボディと呼ばれる一体構造であり,所謂「擦り合わせ」の要素が大きく,生産者に高いスキルが求められる。職能給制度のもとでは,小型車の普及に追いつくことが難しかった。
 アメリカ自動車産業の回復は持続的なものとなるだろうか。そのためには,O.ウィリアムソンが唱える,ごまかしなどの「限定された合理性」とそれによって生じる「機会費用」の引下げを達成することが必要である。加えて,職能給を軸に据える雇用慣行や,職務間・労使間・管理と生産現場間でのコミュニケーションの難しさが依然としてアメリカ自動車産業における課題として残っている。
 アメリカでは,必要人工が減る生産面の工夫はjob combinationと呼ばれ,必要人員を維持したまま各人の負担を減らすカイゼンとは異なると理解されている。これに対して,日本では,配置転換などによる雇用保障がなされていることから両者は区別されていないという。世界的な次世代自動車へのシフトは部品点数の減少をもたらし,旧来のサプライヤーシステムが成り立たない可能性もあるなかで,旧来の日本型システムは新しい課題に直面しつつあるのかもしれない。

【書評】統計学が日本を救う(中公新書ラクレ)

統計学が日本を救う(https://www.amazon.co.jp/dp/4121505662)』は、『統計学が最強の学問である』で有名な西内啓氏による、日本の社会問題にかかる、統計学からみた視点と解決策がテーマの一冊である。すなわち、統計学そのものに関する書籍ではない。


本書は4章構成となっており、その要点を個人的にまとめると、以下のようになる。
1.高齢化の本質は高齢化ではなく少子化である。1990年代以降さまざまな少子化対策が講じられてきたが、子育てのコストをゼロにするという真に必要な政策がとられてこなかった。

2.現在でも貧困に陥るリスクが壊滅したわけではない。米国の「ペリー幼稚園プログラム」を参考にするべきである。そうしたプログラムによる失業率・犯罪率の低下に加えて、所得の増加や、高齢者の就業率上昇が効果的である。また、先進国の社会保障制度史を貧困者との関係で明らかにしている。

3.高齢者によって使われる医療費の割合が上昇しているが、これは高齢者1人あたりの医療費増加に起因する。実は効果がそれほど大きくない慢性疾患の治療などにコストがかかっており、医療技術評価や包括払いの推進が有効である。また、予防医療を過大視してはならない。介護期間を短縮化するわけではなく、介護期間の先延ばしにすぎないからだ。高齢者の就業率を引き上げるほうが効果的である。

4.このように、お金で解決できる社会問題はまだまだあるので経済成長は必要である。その際、人口減少は、経済成長の阻害要因ではない(単純な人口増加が経済成長をもたらすわけではない)。1人あたりGDPに着目して、学力向上や研究開発投資の拡大が求められる。ただし、人口密度の維持は生産性に大きく影響する。いずれにせよ、ランダム化比較実験などにいち早く取り組んで、有効な施策を見出すことが必要である。

 

少子高齢化の背景は高齢化ではない(平均余命は長い間大きく変化していない)ことや、医療費の配分には見直し余地があること、まだまだお金が必要なので経済成長は必要であるといった主張は極めて説得的である。加えて、こうした主張がデータやエビデンスに基づいて記述されてる点は見習うところが多い。

人口問題はある程度予測可能であるにも関わらず、現実に問題となるまで気づかないことが多い。本書で扱われているような問題―とくに少子化―は、1990年代に対処せねばならなかったことは、反省せねばならないだろう。遅きに失するがなにも手を打たないわけにもいかない。その意味でも多くの考えるヒントを本書は与えてくれているのではないだろうか。

ちょっと難しい寄与度分解

 ある数字の動きは以前からどう変化しているのか。何が影響しているのか。その調べ方のひとつが寄与度分解である。

 複数のものを足し合わせた指標の前年比や前期比を求めたうえで,どの要素の寄与が大きいかを求めるのはそこまで難しい話ではない。ここでは,複数のものを掛け合わせた指標の寄与度をどう求めるのかついて備忘を記しておくこととしたい。

 例えば,xという指標は2つの要素a,bの掛け算からなるとする。x1が去年,x2が今年と考えて,前年比の寄与度を求めると仮定する。

   x1=a1*b1

   x2=a2*b2

 x2/x1-1が前年比である。これをa,bを使って求める。

x2/x1=a2b2/a1b1

         =1/a1b1*(a2b2+a1b1-a1b1)

         =1/a1b1*(a1b1+a2b2-a1b1+a2b1-a2b1)

         =1/a1b1*{a1b1+(a2-a1}*b1+(b2-b1)*a2}

よって,

x2/x1-1=1/a1b1*(a2-a1}*b1+1/a1b1*(b2-b1)*a2

と整理することができる。

aの寄与度は1/a1b1*(a2-a1}*b1となり,bの寄与度は1/a1b1*(b2-b1)*a2となる。

 ここでのポイントは変形式で同じものを足して引くこと(a1b1とa2b1)である。この式変形を思い出せることが重要だ。

 

行動経済学は競争法上の問題解決に資するか?(3/3)

標準的ではない生産者の意思決定行動

 前述のとおり,行動経済学は,企業が意思決定の標準モデルからどれほど乖離するかではなく,消費者が個人の意思決定モデルからどれほど乖離するかにまず焦点をあてる。行動経済学では,しばしば,標準モデルから消費者が乖離しているのを利用して,企業がどのように行動を修正するかに焦点を当てる代わりに,企業が合理的な利潤最大化主体であるとの仮定を置く。消費者の行動に付け込んで自社の行動を企業が修正することは,消費者を不公正あるいは欺瞞的な行為から保護するために設計される消費者保護活動に影響をもたらすであろう。しかしながら,反トラスト法への示唆はそれよりも明らかではない。

 企業が合理的かつ利潤を最大化する主体と扱い続けるにあたっては,2つの主張が通常提起される。第1に,企業は,情報処理や最適な価格決定を支援する幅広いコンサルタントやアドバイザーにアクセス可能とされる。第2に,利潤最大化から逸脱する企業は,長期的には競争に勝ち残れないだろう。結局のところ,いつかの時点で,企業は過ちをおかし,それゆえ利潤最大化行動から逸脱し,利潤最大化よりも売り上げや市場シェアを最大化することを短期的な目標に据えてしまうのはもっともである。しかしながら,経済学では,利潤最大化主体たる企業を基礎とすることで一貫しており,企業が統一的あるいは一貫したかたちで利潤最大化行動から逸脱することを示唆する証拠を提供する研究結果はほとんどない。むしろ,逸脱に関するアネクドータルな証拠は,システマティックではない誤り,長い期間を経て,利潤最大化に発展する売り上げや市場シェアに関する中間目標を掲げる企業に関連するものである。

 企業がシステマティックに利潤を最大化しないことについて,開かれたかたちで検討するのに適した先例としては,Genzyme社(以下,G社)とNovazyme社(以下,N社)との合併に関するFTC調査における,FTCのMuris前長官による2004年の最終陳述が挙げられる。G社とN社はポンペ病―それは幼児と小児に影響を与える稀にある重大な遺伝子疾患である―の治療薬について,初期段階から研究している2大企業であった。FTCの調査では,両社が治療薬の開発中であることを踏まえて,当該合併がポンペ病の治療開発に関するイノベーションとR&Dのペースを遅らせるか,そうでなくともポンペ病治療薬を最初に市場化する競争を妨げる可能性に焦点をあてた。FTCの最終陳述は,経営陣の個人的利益が,企業が利潤最大化戦略をとるのを抑えるだろうと示唆した。とりわけ, G社・N社の合併構造であれば,合併後にポンペ病研究を担当する役員がポンペ病に苦しむ2児を抱えており,治療薬を開発するインセンティブは鈍化しないことを「強く示唆する」と,FTCは言及した。

 G社とN社の合併に関する最終陳述では触れられていないが,利潤を最大化しない行為に基づくことなく,両社が合併後にポンペ病に関するイノベーションを鈍化させるインセンティブを有さない理由を説明する方法がある。その主張は,Merck社によるIndocinの価格決定を説明するのに用いられたものと類似する。とりわけ,G社における,その他の医療やバイオテクノロジー製品構成を踏まえると,G社,N社ともに,合併後も,ポンペ病治療薬のR&Dのペースを鈍化させないことが利潤最大化につながると認識するであろう。なぜならば,その場合には,購入者はR&Dのペース鈍化を不公平とみなし,その他のG社製品の購入を控えるよう促すからである。上述のとおり,行動経済学によるかような説明は,手元に有する事案特有の事実によって,その合理性は左右される。本件においては,かような説明は,購入者がG社・N社ともにイノベーションのペースを鈍化させたことを知っていたか,購入者が他のどの製品がG社の製品であるかを知っているか,および多数の消費者がG社から広範な製品を購入しているか,といった重要な問いによって,その合理性は左右される。

結論

 無関係な業種のスイッチング・コストが高いからという理由で,ある業種におけるスイッチング・コストが高いと結論付けることはない。同じことは,個人や企業の意思決定に関する標準的な枠組みを修正することにも当てはまる。反トラスト法では具体的な事実に基づいて分析を行うので,事案となっている産業に関する事実が,個人や企業が当該産業でどのように意思決定するのかという想定と一致していなければならない。事案となっている特定の製品やサービスに関連するデータや事実を用いて,消費者がシステマティックかつ一貫した態様により価格の下落よりも価格の上昇にかなり気を取られるということが示されたならば,屈折需要曲線といった別の枠組みを考慮することは理に適っている。同様に,事案となっている特定の製品やサービスに関連するデータや事実を用いて,ひとつあるいは複数の企業が,システマティックかつ一貫した態様により,標準的な利潤最大化行動から逸脱することが示されたならば,近い将来における競争上の懸念を評価するにあたって,適切な代替的な枠組みで企業の意思決定を捉えることは理に適っている。

 具体的な事案に特有の事実に基づく証拠が,システマティックかつ一貫した乖離を示していなければ,標準的な経済モデルとして,消費者と企業の意思決定行動について標準的な枠組みに依拠することはもっともである。標準的な枠組みは親しみのある枠組みであり,かつ取り扱いやすい枠組みである。反対証拠が不足する場合には(absent evidence to the contrary),消費者と企業の行動をうまく説明できるようにみえる。もし行動経済学が,誰かの課題に合わせるために,意思決定行動に関するアドホックかつ支持を得ていないあらゆる想定を正当化する手段となれば,反トラスト法の分析方法としては不幸な展開になってしまうだろう。むしろ,特定の事案に関して手元に有する事実やデータが,代替的な分析枠組みの利用に資する場合には,私的団体,政府機関および裁判所が行動経済学に基づく代替的な経済モデルを取り入れることは大いに意味がある。(おわり)

 

行動経済学は競争法上の問題解決に資するか?(2/3)

「参照点基準」であり,「公平感」を取り入れた消費者選好

 標準的な経済モデルでは,個人は純粋に自己利益的であり,自らが受け取る効用の絶対的水準にのみ関心を寄せると想定している。例えば,標準的な枠組みでは,以前に受け取った金額が0ドル(100ドルの増加)あるいは200ドル(100ドルの減少)であるかにかかわりなく,個人は,100ドル受け取ることから同じ効用を得ると想定している。加えて,他人がいくら貰おうとも,100ドルから同じ効用を得ると想定している。

 もちろん,現実世界では,ほとんど誰しもが,以前,たった1000ドルの昇給であったか50000ドルの昇給であったかによって,10000ドルの賃金上昇について,違って感じることを想像できるだろう。実際には,他人と同じように昇給しているか,自己以外はみな3倍昇給しているかによって,10000ドルの昇給に対してまったく異なるように感じることも想像できるであろう。

 このような現実的な主張をとらえるために,消費者選好のモデルを修正する第1の方法は,選好を「参照点基準」としてモデル化することである。参照点基準の選好は,絶対水準ではなく,消費者は選好の変化を意識するという考えをもとに設計されている。これは,人々は物を得るよりも失うことを嫌がるという実験における観察結果を取り込んでいる。消費者が物を得るより物を失うことを好まないとき,行動経済学はこれを「損失回避」と呼ぶ。Daniel KahnemanとAmos Tverskyが発展させたプロスペクト理論では,個人が損失回避を示す際に,個人の意思決定行動をモデル化する代替的な枠組みを提示している。消費者は,実験における設定では損失回避を示していたが,最近になってようやく,現実の設定において損失回避を個人が示す証拠を研究成果が提供するようになった。そこには,住宅市場,株式市場,バイク便サービス,そしてニュージャージー州警察の契約交渉といったものが含まれている。

 消費者選好のモデルを修正する第2の方法は,自己利益の側面だけではなく社会的な側面を選好にモデル化することである。社会的選好は,個人が純粋に自己利益的ではないいくつかの場合を含んでいる。そのひとつが公平感である。Matthew Rabinは,個人が公平感を考慮する際における,個人の意思決定行動に関する代替的な枠組みを構築した。公平感を含む選好は,資源がどのように配分されるか,個人が気にすることを認識させる。加えて,公平感を含む選好は,個人あるいは企業がなぜその行動をとったのかに個人が関心を持ち,そのうえ不公平であると感じた行動に対する報復を可能ならしめることを認識するであろう。

 実験室での設定では,厳格に自己利益的な行動よりは,公平感を選好に示す個人もいたことが明らかになっている。最近の研究でも,特定の現実世界の設定において,行動の中に公平感を表す個人がいる証拠が提供されている。例えば,経営陣の行為が不公平であると感じられたことへの反抗として,労働組合化したタイヤ製造業の労働者たちが仕返しをした事例がある。

反トラスト法分析への示唆

 参照点基準の選好や,公平感を伴う選好を示す消費者といったような,標準的な消費者意思決定行動モデルからの修正は,潜在的な企業結合をどのように経済的に分析するかについて,興味深い示唆をもたらす。

 例えば,特定の関連市場における事実やデータが示唆するには,問題となっている特定の製品やサービスについて,消費者は,価格の下落よりも上昇をはるかに意識していると仮定しよう。この状況では,消費者は,参照点基準の選好を示している。参照点基準の選好は,現在の価格において屈折した需要曲線を生じさせる。言い換えれば,需要曲線は,価格の下落(屈折の下側)よりも価格の上昇(屈折の上側)のほうが弾力的であるのだ。典型的な経済分析では,滑らかな需要曲線を基礎としているのに対して,参照点基準の選好からは屈折需要曲線が導き出される。屈折需要曲線は,かなりの割合の消費者が参照点基準の選好に基づいて意思決定を行うとともに,価格の下落よりも価格の上昇に対する行動の仕方に実質的な差異があるならば,経済分析をどう行うかについて,意味のある示唆をもたらすであろう。屈折需要曲線がひとつ示唆するのは,企業結合分析において,クリティカル・ロス分析(CLA)で用いられるラーナー方程式が当てはまらないということである。その結果,参照点基準の選好は,クリティカル・ロス分析といった特定の分析に影響しうる。

 しかしながら,屈折需要曲線に基づく経済モデルを用いる前に,当該分析は,問題となっている特定の製品に固有の事実を基礎に置く必要がある。参照点基準の選好を想定する場合には,それを用いて,かなりの割合の消費者が,価格下落と比べて価格上昇への消費者の振る舞い方には実質的な差異があるか否かや,屈折が現在の価格にみられるか否か決定しているかを明らかにすることは理に適っている。

 また,公平感を取り入れた消費者選好も合併の経済分析に興味深い示唆をもたらす。とりわけ,公平感を取り入れた選好は,合併後の市場支配力の行使を統制する可能性がある。例えば,特定の市場に関連する事実やデータが,消費者は純粋に自己利益を追求するよりはむしろ公平感を取り入れて決定することを示していたとしよう。合併後の市場支配力の行使は,価格引き上げの理由としては不公正である(コスト上昇に関するものが価格引上げにおける正当な理由のひとつであろう)と消費者が考えていると示されたならば,たとえ,ある製品を購入することが,純粋に自己の利益を追求する意思決定の枠組みでは価値があるとしても,消費者は,合併後には当該製品の購入を拒むであろう。

 2008年12月に,FTCがOvation Pharmaceuticals社と争った事案における,J. Thomas Rosch長官の同意意見で示された加害の理論(the theory of harm)は,公平感を取り込んだ選好を有する消費者を背景にして構築されたと考えられている。FTCは,Ovation社がAbbott Laboratories社からNeoProfenの権利を2006年1月に買い取ったことについて,幼児の心臓病を治療するのに用いられる医薬品として定義される製品市場において,2社から1社に減少したとして,異議を唱えた。Ovation社が,Merck社から早産の赤ん坊に発症した心臓病を治療するのに用いられる1番目の医薬品を買い取った際には,明らかな水平的な重なりや垂直的な懸念は存在しなかった。一方,Rosch長官は,「Merck社からOvation社へのIndocin売却は,銅製品の価格に対して市場支配力を行使することを可能ならしめる効果を有すると信じる理由がある。これは,Merck社が利益追求のために成し遂げることのできなかったものである。」と主張した。Rosch長官は,Merck社がIndocinを独占価格で販売していたならば,同社の評判に大きな影響を与え,その他の製品の売り上げもまた失うであろうと示唆した。消費者選好や個人の意思決定行動に関するある前提がこの主張の底流にある。とりわけ,早産の赤ん坊の心臓病を治療に用いられる医薬品の価格が独占価格であることについて,消費者が不公正であると感じたら,たとえ自己利益を純粋に追求する意思決定枠組みのもとでは,購入することに価値があるとしても,Merck社の多数の製品群のなかからは,他の製品を購入することを拒否するという仕返しをするであろう。

 Rosch長官の分析の根拠となる企業行動の理論を支持するには,消費者がそのように行動しているという事実に基づいた情報やデータが求められる。収集・発展させるべき情報は,購入者がMerck社はIndocinに独占価格を付与していたことを知っていたか,購入者は他の製品のうちどれがMerck社の製品群の一部分であるかを知っていたか,そして,Merck社の製品群から広範囲にわたって製品を購入する消費者が多数存在していたかという点を含んでいる。購入者が「公平感」を取り込んだ選好を一貫して行動する可能性を記録することが,困難ではあるが重要な実証的行為である。すなわち,購入者がMerck社の製品群にある,その他の製品に対して支払いたいという気持ちが,それらの製品にMerck社がつけている値段を仮に超えていたとしても,購入を選択しないということである。