no pat answer, no grapevine

一見正しそうなことや噂になんか流されない。

【書評】経済指標のウソ(ダイヤモンド社、2017年)

 景気には山谷や循環があり、GDPや失業率によってわれわれがいま循環のどこにいるかが明らかとなる。こうした世界の見方に我々は慣れきっているが、実は数十年しか検証されていない経験則に過ぎないものだとしたら…。

 

 では、GDPや失業率はどのような歴史を経て誰もが注目するような存在になったのだろうか。今回紹介する『経済指標のウソ─世界を動かす数字のデタラメな真実─』は、主要統計の歴史を紐解くことで導いてくれる。なお、本書のタイトルはやや挑発的であるが、原題は『The LEADING INDICATORS -A Short History of the Numbers That Rule Our World-』と実に冷静なものとなっている。

 

 歴史を振り返ると、統計は統治と密接な関係にあることがわかる。例えば、ノルマンディー公ウィリアムの「ドゥームズデー・ブック」はグレート・ブリテンの実態を浮き彫りにした国勢調査のようなものであった。また、初期の合衆国憲法には、(自由人以外の者は5分の3とするなど奴隷制にかかる問題をはらんでいるが)国勢調査を10年ごとに行う旨が定められていた。国力の源泉である農業や貿易に関するデータについても、統治者が自国の国力を知るべく、充実が図られていった。

 

 20世紀に入ると、統計は政治問題にいっそう翻弄されることとなる。まずは失業率をめぐる歴史に目を向けてみよう。第一次大戦後の混乱やその後の世界恐慌では、失業に関するデータが不十分であることが浮き彫りになるとともに、失業率統計は政権の命運をも左右することとなった。「失業者」は産業革命を経て登場した比較的新しい概念であり、一貫したデータは言うまでもなく蓄積されていなかった。まさに「裸眼だけを頼りに嵐の中を飛ぶ飛行機」の様相を呈していた。当時の大統領フーヴァーは、BLSに雇用状況を毎週調査させることを決定し、ある週のデータのいくつかが好転していることをもって実際とは逆行する判断を下したことがさらなる悪化を招いたとされる。不信感を募らせた議会は1930年に「雇用の数字と変動」を調査する権限をBLSに付与した。失業者数を把握することが重要であることが政治の世界で認識されるまでに時間を要さなかったが、失業者─雇用されていない状態─を把握するのは容易ではなかった。1950年代になってようやく現在のかたちとなった。

 

 1970年代にインフレが政治問題となると、今度は物価統計が論争の的となる。物価は社会保険給付の前提であるとともに、労働争議において労働者は物価上昇を根拠に賃上げを要求する。そのため物価統計は極めて重要な存在となるが、実のところ、物価指数は根本的な「むずかしさ」を内包している。長期間にわたって「同一商品」の価格を計測することはほぼ困難である。例えば、50年前と現在の自動車はまったく異なる。そのため、こうした差を調整するヘドニックアプローチと呼ばれる手法が今日では広く用いられている。

 

 GDPも政治とともに歩んできた。国民所得勘定という概念は著名な経済学者であるクズネッツによって体系化された比較的新しい概念であるにもかかわらず、財政出動によるケインズ政策の効果や国力を主張したい人々によって、今日のような信奉の対象となった。最近だと、2000年代のグローバル金融危機で注目を浴びた。当時のオバマ政権は景気刺激策として「2009年アメリカ復興・再投資法(American Recovery and Reinvestment Act of 2009)」を制定するにあたり、財政出動の規模はGDPギャップを推計することで決定した。この政策は想定通りの雇用を創出したとはされていないが、GDPギャップの前提である潜在GDPや潜在失業率を計算することの困難さもその一因として指摘されている。

 

 このように失業率、CPI、GDPと主要な経済指標を振り返ると、我々が思っているほど全体を包括的に表現できていないことがわかる。本書では、iPhoneの事例を一例として挙げている。貿易統計では、「最終的かつ実質的な変更が行われた地」を原産地とするルールが昔から採用されている。この原則に基づくとiPhoneは中国製であり、iPhoneの生む付加価値の多くは中国に帰属することとなる(米国の貿易赤字を増やす方向に作用する)。換言すれば、iPhoneを生み出したのは米国であるにも関わらず、売れれば売れるほどGDPは減少するということだ。グローバルサプライチェーンによる物の動きは、既存の貿易統計やGDPでは必ずしもうまく把握できないのである。同じことはサービス消費やSNSによる価値の算出についてもあてはまる。

 

 つまるところ、それでもGDPを信じますか?というのが筆者からの問いかけである。指標は起こりうる多様な結果を示唆するにすぎず、未来を予言することはできない。それぞれの指標にはそれぞれの問題点を抱えており、ひとつの指標だけをみればよいということは決してない。そもそもGDPがどれだけ企業や個人の行動の指針として実際に機能するか疑問であり、今後発展を遂げるビッグデータに期待すると本書では締めくくられている。