no pat answer, no grapevine

一見正しそうなことや噂になんか流されない。

行動経済学は競争法上の問題解決に資するか?(3/3)

標準的ではない生産者の意思決定行動

 前述のとおり,行動経済学は,企業が意思決定の標準モデルからどれほど乖離するかではなく,消費者が個人の意思決定モデルからどれほど乖離するかにまず焦点をあてる。行動経済学では,しばしば,標準モデルから消費者が乖離しているのを利用して,企業がどのように行動を修正するかに焦点を当てる代わりに,企業が合理的な利潤最大化主体であるとの仮定を置く。消費者の行動に付け込んで自社の行動を企業が修正することは,消費者を不公正あるいは欺瞞的な行為から保護するために設計される消費者保護活動に影響をもたらすであろう。しかしながら,反トラスト法への示唆はそれよりも明らかではない。

 企業が合理的かつ利潤を最大化する主体と扱い続けるにあたっては,2つの主張が通常提起される。第1に,企業は,情報処理や最適な価格決定を支援する幅広いコンサルタントやアドバイザーにアクセス可能とされる。第2に,利潤最大化から逸脱する企業は,長期的には競争に勝ち残れないだろう。結局のところ,いつかの時点で,企業は過ちをおかし,それゆえ利潤最大化行動から逸脱し,利潤最大化よりも売り上げや市場シェアを最大化することを短期的な目標に据えてしまうのはもっともである。しかしながら,経済学では,利潤最大化主体たる企業を基礎とすることで一貫しており,企業が統一的あるいは一貫したかたちで利潤最大化行動から逸脱することを示唆する証拠を提供する研究結果はほとんどない。むしろ,逸脱に関するアネクドータルな証拠は,システマティックではない誤り,長い期間を経て,利潤最大化に発展する売り上げや市場シェアに関する中間目標を掲げる企業に関連するものである。

 企業がシステマティックに利潤を最大化しないことについて,開かれたかたちで検討するのに適した先例としては,Genzyme社(以下,G社)とNovazyme社(以下,N社)との合併に関するFTC調査における,FTCのMuris前長官による2004年の最終陳述が挙げられる。G社とN社はポンペ病―それは幼児と小児に影響を与える稀にある重大な遺伝子疾患である―の治療薬について,初期段階から研究している2大企業であった。FTCの調査では,両社が治療薬の開発中であることを踏まえて,当該合併がポンペ病の治療開発に関するイノベーションとR&Dのペースを遅らせるか,そうでなくともポンペ病治療薬を最初に市場化する競争を妨げる可能性に焦点をあてた。FTCの最終陳述は,経営陣の個人的利益が,企業が利潤最大化戦略をとるのを抑えるだろうと示唆した。とりわけ, G社・N社の合併構造であれば,合併後にポンペ病研究を担当する役員がポンペ病に苦しむ2児を抱えており,治療薬を開発するインセンティブは鈍化しないことを「強く示唆する」と,FTCは言及した。

 G社とN社の合併に関する最終陳述では触れられていないが,利潤を最大化しない行為に基づくことなく,両社が合併後にポンペ病に関するイノベーションを鈍化させるインセンティブを有さない理由を説明する方法がある。その主張は,Merck社によるIndocinの価格決定を説明するのに用いられたものと類似する。とりわけ,G社における,その他の医療やバイオテクノロジー製品構成を踏まえると,G社,N社ともに,合併後も,ポンペ病治療薬のR&Dのペースを鈍化させないことが利潤最大化につながると認識するであろう。なぜならば,その場合には,購入者はR&Dのペース鈍化を不公平とみなし,その他のG社製品の購入を控えるよう促すからである。上述のとおり,行動経済学によるかような説明は,手元に有する事案特有の事実によって,その合理性は左右される。本件においては,かような説明は,購入者がG社・N社ともにイノベーションのペースを鈍化させたことを知っていたか,購入者が他のどの製品がG社の製品であるかを知っているか,および多数の消費者がG社から広範な製品を購入しているか,といった重要な問いによって,その合理性は左右される。

結論

 無関係な業種のスイッチング・コストが高いからという理由で,ある業種におけるスイッチング・コストが高いと結論付けることはない。同じことは,個人や企業の意思決定に関する標準的な枠組みを修正することにも当てはまる。反トラスト法では具体的な事実に基づいて分析を行うので,事案となっている産業に関する事実が,個人や企業が当該産業でどのように意思決定するのかという想定と一致していなければならない。事案となっている特定の製品やサービスに関連するデータや事実を用いて,消費者がシステマティックかつ一貫した態様により価格の下落よりも価格の上昇にかなり気を取られるということが示されたならば,屈折需要曲線といった別の枠組みを考慮することは理に適っている。同様に,事案となっている特定の製品やサービスに関連するデータや事実を用いて,ひとつあるいは複数の企業が,システマティックかつ一貫した態様により,標準的な利潤最大化行動から逸脱することが示されたならば,近い将来における競争上の懸念を評価するにあたって,適切な代替的な枠組みで企業の意思決定を捉えることは理に適っている。

 具体的な事案に特有の事実に基づく証拠が,システマティックかつ一貫した乖離を示していなければ,標準的な経済モデルとして,消費者と企業の意思決定行動について標準的な枠組みに依拠することはもっともである。標準的な枠組みは親しみのある枠組みであり,かつ取り扱いやすい枠組みである。反対証拠が不足する場合には(absent evidence to the contrary),消費者と企業の行動をうまく説明できるようにみえる。もし行動経済学が,誰かの課題に合わせるために,意思決定行動に関するアドホックかつ支持を得ていないあらゆる想定を正当化する手段となれば,反トラスト法の分析方法としては不幸な展開になってしまうだろう。むしろ,特定の事案に関して手元に有する事実やデータが,代替的な分析枠組みの利用に資する場合には,私的団体,政府機関および裁判所が行動経済学に基づく代替的な経済モデルを取り入れることは大いに意味がある。(おわり)