no pat answer, no grapevine

一見正しそうなことや噂になんか流されない。

行動経済学は競争法上の問題解決に資するか?(2/3)

「参照点基準」であり,「公平感」を取り入れた消費者選好

 標準的な経済モデルでは,個人は純粋に自己利益的であり,自らが受け取る効用の絶対的水準にのみ関心を寄せると想定している。例えば,標準的な枠組みでは,以前に受け取った金額が0ドル(100ドルの増加)あるいは200ドル(100ドルの減少)であるかにかかわりなく,個人は,100ドル受け取ることから同じ効用を得ると想定している。加えて,他人がいくら貰おうとも,100ドルから同じ効用を得ると想定している。

 もちろん,現実世界では,ほとんど誰しもが,以前,たった1000ドルの昇給であったか50000ドルの昇給であったかによって,10000ドルの賃金上昇について,違って感じることを想像できるだろう。実際には,他人と同じように昇給しているか,自己以外はみな3倍昇給しているかによって,10000ドルの昇給に対してまったく異なるように感じることも想像できるであろう。

 このような現実的な主張をとらえるために,消費者選好のモデルを修正する第1の方法は,選好を「参照点基準」としてモデル化することである。参照点基準の選好は,絶対水準ではなく,消費者は選好の変化を意識するという考えをもとに設計されている。これは,人々は物を得るよりも失うことを嫌がるという実験における観察結果を取り込んでいる。消費者が物を得るより物を失うことを好まないとき,行動経済学はこれを「損失回避」と呼ぶ。Daniel KahnemanとAmos Tverskyが発展させたプロスペクト理論では,個人が損失回避を示す際に,個人の意思決定行動をモデル化する代替的な枠組みを提示している。消費者は,実験における設定では損失回避を示していたが,最近になってようやく,現実の設定において損失回避を個人が示す証拠を研究成果が提供するようになった。そこには,住宅市場,株式市場,バイク便サービス,そしてニュージャージー州警察の契約交渉といったものが含まれている。

 消費者選好のモデルを修正する第2の方法は,自己利益の側面だけではなく社会的な側面を選好にモデル化することである。社会的選好は,個人が純粋に自己利益的ではないいくつかの場合を含んでいる。そのひとつが公平感である。Matthew Rabinは,個人が公平感を考慮する際における,個人の意思決定行動に関する代替的な枠組みを構築した。公平感を含む選好は,資源がどのように配分されるか,個人が気にすることを認識させる。加えて,公平感を含む選好は,個人あるいは企業がなぜその行動をとったのかに個人が関心を持ち,そのうえ不公平であると感じた行動に対する報復を可能ならしめることを認識するであろう。

 実験室での設定では,厳格に自己利益的な行動よりは,公平感を選好に示す個人もいたことが明らかになっている。最近の研究でも,特定の現実世界の設定において,行動の中に公平感を表す個人がいる証拠が提供されている。例えば,経営陣の行為が不公平であると感じられたことへの反抗として,労働組合化したタイヤ製造業の労働者たちが仕返しをした事例がある。

反トラスト法分析への示唆

 参照点基準の選好や,公平感を伴う選好を示す消費者といったような,標準的な消費者意思決定行動モデルからの修正は,潜在的な企業結合をどのように経済的に分析するかについて,興味深い示唆をもたらす。

 例えば,特定の関連市場における事実やデータが示唆するには,問題となっている特定の製品やサービスについて,消費者は,価格の下落よりも上昇をはるかに意識していると仮定しよう。この状況では,消費者は,参照点基準の選好を示している。参照点基準の選好は,現在の価格において屈折した需要曲線を生じさせる。言い換えれば,需要曲線は,価格の下落(屈折の下側)よりも価格の上昇(屈折の上側)のほうが弾力的であるのだ。典型的な経済分析では,滑らかな需要曲線を基礎としているのに対して,参照点基準の選好からは屈折需要曲線が導き出される。屈折需要曲線は,かなりの割合の消費者が参照点基準の選好に基づいて意思決定を行うとともに,価格の下落よりも価格の上昇に対する行動の仕方に実質的な差異があるならば,経済分析をどう行うかについて,意味のある示唆をもたらすであろう。屈折需要曲線がひとつ示唆するのは,企業結合分析において,クリティカル・ロス分析(CLA)で用いられるラーナー方程式が当てはまらないということである。その結果,参照点基準の選好は,クリティカル・ロス分析といった特定の分析に影響しうる。

 しかしながら,屈折需要曲線に基づく経済モデルを用いる前に,当該分析は,問題となっている特定の製品に固有の事実を基礎に置く必要がある。参照点基準の選好を想定する場合には,それを用いて,かなりの割合の消費者が,価格下落と比べて価格上昇への消費者の振る舞い方には実質的な差異があるか否かや,屈折が現在の価格にみられるか否か決定しているかを明らかにすることは理に適っている。

 また,公平感を取り入れた消費者選好も合併の経済分析に興味深い示唆をもたらす。とりわけ,公平感を取り入れた選好は,合併後の市場支配力の行使を統制する可能性がある。例えば,特定の市場に関連する事実やデータが,消費者は純粋に自己利益を追求するよりはむしろ公平感を取り入れて決定することを示していたとしよう。合併後の市場支配力の行使は,価格引き上げの理由としては不公正である(コスト上昇に関するものが価格引上げにおける正当な理由のひとつであろう)と消費者が考えていると示されたならば,たとえ,ある製品を購入することが,純粋に自己の利益を追求する意思決定の枠組みでは価値があるとしても,消費者は,合併後には当該製品の購入を拒むであろう。

 2008年12月に,FTCがOvation Pharmaceuticals社と争った事案における,J. Thomas Rosch長官の同意意見で示された加害の理論(the theory of harm)は,公平感を取り込んだ選好を有する消費者を背景にして構築されたと考えられている。FTCは,Ovation社がAbbott Laboratories社からNeoProfenの権利を2006年1月に買い取ったことについて,幼児の心臓病を治療するのに用いられる医薬品として定義される製品市場において,2社から1社に減少したとして,異議を唱えた。Ovation社が,Merck社から早産の赤ん坊に発症した心臓病を治療するのに用いられる1番目の医薬品を買い取った際には,明らかな水平的な重なりや垂直的な懸念は存在しなかった。一方,Rosch長官は,「Merck社からOvation社へのIndocin売却は,銅製品の価格に対して市場支配力を行使することを可能ならしめる効果を有すると信じる理由がある。これは,Merck社が利益追求のために成し遂げることのできなかったものである。」と主張した。Rosch長官は,Merck社がIndocinを独占価格で販売していたならば,同社の評判に大きな影響を与え,その他の製品の売り上げもまた失うであろうと示唆した。消費者選好や個人の意思決定行動に関するある前提がこの主張の底流にある。とりわけ,早産の赤ん坊の心臓病を治療に用いられる医薬品の価格が独占価格であることについて,消費者が不公正であると感じたら,たとえ自己利益を純粋に追求する意思決定枠組みのもとでは,購入することに価値があるとしても,Merck社の多数の製品群のなかからは,他の製品を購入することを拒否するという仕返しをするであろう。

 Rosch長官の分析の根拠となる企業行動の理論を支持するには,消費者がそのように行動しているという事実に基づいた情報やデータが求められる。収集・発展させるべき情報は,購入者がMerck社はIndocinに独占価格を付与していたことを知っていたか,購入者は他の製品のうちどれがMerck社の製品群の一部分であるかを知っていたか,そして,Merck社の製品群から広範囲にわたって製品を購入する消費者が多数存在していたかという点を含んでいる。購入者が「公平感」を取り込んだ選好を一貫して行動する可能性を記録することが,困難ではあるが重要な実証的行為である。すなわち,購入者がMerck社の製品群にある,その他の製品に対して支払いたいという気持ちが,それらの製品にMerck社がつけている値段を仮に超えていたとしても,購入を選択しないということである。